中森明菜の歌にBLONDEというのがある。
♪呼ばれるまま かしづいた
出逢えたのが 奇跡のようね
・・・私より 強い男を捜してた・・・男たち 愛に手を抜くの・・・綺麗と愛してると 男たち 言葉を使って♪
という、歌である。
私は今までにお付き合いしてくれた、彼氏に対して、喜怒哀楽は感じなかった。
所謂、ジェラシーを感じた事や、哀しくなったり、楽しかったりを感じた事がない。
その感情を味合わせてくれたのが、唯一、高見澤俊彦だけだ。
他の女の子を可愛いと言うと、嫉妬したり、彼が意味なく笑っていると腹が立ったり、お兄様を亡くされたと聞くと、哀しくなったり、彼氏でも何でもないが、喜怒哀楽を12歳の頃から、今まで、高見澤俊彦を通してたくさん味合わせてくれた。
多分、直接逢ったら、ツーカーの仲になると感じる。
岡本太郎が恋愛は相手に自分を見つける事なのだよ。
向こうが、自分を知っているなんて関係ない。
自分を見つけられたら、それが、運命の出逢いなんだ!という事を言っていた。
だから、私は結婚しなくても、今、現在、お付き合いしている人がいなくとも、充分に幸せだ。
もう一人、喜怒哀楽を教えてくれた、異性がいる。
それが、父だ。
私の父は母と娘の私がいながら、他に女の人を何回も作った。
幼稚園の時、父の日で皆、お父さんに肩車されているのに、父は仕事の都合で、来れなかったので、母が私を肩車してくれたが、私はワンワン泣いていた。
良く言う
「仕事と私のどっちが大事なの?」
と言う、彼女の様に、娘と仕事、どっちが大事なの?と駄々を捏ねた。
父が仕事してくれるから、幼稚園に行けるのであっても、娘の私はお構い無しだ。
父の愛人に会った時
「どうぞ、私の父を持って行ってください」
と、今、思うと娘という事に驕っていたのだろう。
父の愛人達には今では、謝りたい気持ちで一杯だ。
ただでさえ、道ならぬ恋に苦しんでいたのだから。
父が愛人を作った時、初恋に破れたような気がした。
子供に取って、異性の親は特別だ。
だから、マザーコンプレックスの男性は普通だと感じる。
一人娘はファザーコンプレックスの方が多い。仕方ない。兄弟がいない分、一人占め出来ると思っているのだから。
母が生き別れの父に、最近、のぞ美はダルビッシュが好きみたいと伝えたら、電話で
「ノン。お前、ダルビッシュが好きなんだって?」
「でも、結婚してるから・・・・・・」
と言う私に
「そんなの関係ないだろ⁉️」
と言った時、だから、母や私がいても、他に好きな人が出来るのだ、と思っていた。
しかし、父はもっと深い意味で、人が人を好きになるのに、理由などいらないと言いたかったのだ。
そこに、既婚者だから、独身だからなど関係ない。
人が人を好きになるのは良い事だと伝えたかったのだ。
それを知ったのは父がこの世を去ってからだった。
人が人を好きになるのに、身分や国籍等、関係ないと言う父だった。
相手の方が高学歴だから、収入が多いからなど、関係がない。
好きに理由付け等いらないと言いたかったのだ。
父は私の親である前に、一人の人間として、男として、生きた人だった。
私も好きに理由付けしない。
気付いたら、人を好きになっているものだろう。
優しいからとか、カッコ良いからとかはどうでも良いのである。
結婚出来るとか、付き合えるから等で妥協して一緒になったカップルに本当の愛は分からない。
恋愛は好きになった相手に自分を見つける事だと強く感じている。
それが、例え、片思いであろうと、人を好きになった人は幸せだ。
私は結婚出来なくてもイイと感じている。
もう充分に人としての感情を味わったのだから。
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