余裕

2022.10.24

 20代の頃、内観法をやった。

 先天性人見知り症の私。人見知りとは自己に感心が向いているために起こる事に気付いた。

 内観法とは食べる・寝る・出す以外は机の前に座り、ひたすら自分から湧き出る感情をノートに書き出す。他には何もしない。

 忙しいのも大変だが、何もしないのはもっと大変な事に気付く。

 ひたすら自己の感情を書き出す事を続ける。

 本来は内観法をやっている、お寺に行くのが良いのだが、生憎、近くにそういうお寺はなく、旅費もなかった私は自分でやった。

だから、自己流だが、かなり苦しかったのを覚えている。

 確か、ノートの左ページに悩みや苦しみを書き、右に原因を書く。

毒親に苦しめられていた私は0歳から高校卒業まで、幾ら親にお金を出してもらったかを書き、どれだけ愛情を掛けて育てられたかを知る。

 それを分かっても、まだ、親に対しての憎しみは消えなかった。

 大学へ行けなかった事、朝晩働いて疲弊仕切った事、自分のやりたい事を潰された事等、苦しみの中にいた。

 他に兄弟がいたら、もっと自由に生きれた事など、挙げたらきりがなかった。

 どんなに私が苦しもうと、その事実は変わりようがない。

 親を捨てれなかった私が悪いという結論に至る。

 自分の人生なのに、親の為に生きた後悔。一人娘だから、仕方ない。そう思い込むしかなかった。

 友人は自分の好きな事をして生きているのに、自分は何をやっているのだろうか?

 そのうち、生き別れの父が亡くなり、母は認知症になり、介護の日々。

 私は親の為に生まれたのかと苦しかった。

 母も逝き、一人になり、さぁ、これから自由に生きて良いよとなると、51歳になっていた。

 幾つでもスタートは出来ると言うが、限られるのは事実である。そこには絶望しか残っていなかった。

 しかし、自分で幕を閉じるのは先に亡くなった友人達に失礼だ。私は何があっても生きなくてはいけない。

 自分に余裕が無いと、人に優しく出来ない。人見知り症の私は自分ではなく、他の人に意識を向けなくてはいけない。

 そうする事に寄って、自分も生きている事を実感出来るのだろう。

 今世の私の人生は自分の為ではなく、人の為に生きる使命が与えられたと考えると、憎しみが嘘の様に消えた。

 だから、いつも、余裕のよっちゃんで、生きて行こうと思う。

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