2022.12.2
私は過去にひとつだけ、後悔がある。
中学のバスケットボール部だった、私。
皆で、ランニングシュート(今はレイアップシュートだが)の練習をしていた時
「とら(私のニックネーム)!
もっと、スナップきかせて!」
と、同じサブチームのやなさんが、私に言った。
私はもっとヘタでも、レギュラーをやっている人間に注意しないで、何故、私に······と、頭に来て
「ウルサイ!!」
と言ってしまった。
やなさんは哀しそうな目をして
「とら〜······」
と言った。
別に何とも思っていない人に注意などしないのに、私の心の狭さが招いてしまった事だった。
やなさんともう一人と私はお互いに
「何故、この子をレギュラーにしないのだろうか?」
と、感じていた。
レギュラーとサブチームと練習試合をすると、必ずサブチームが勝つという、変なチーム編成だった。
顧問の先生は
「レギュラーとサブチームの力を同等にしたい」
と、訳の分からない理由を挙げていたが、何の事はない。
町内会長の娘さんや、誰それの妹さんだからという理由でレギュラーにしていた。
サブチームだった私達3人は悔しいまま、中学を終えた。
私は中学の3年間で、もうバスケットボールはしないと決めたが、もう一人は高校もバスケットボールを続けて、レギュラーにそしてキャプテンになり、レギュラーだった子が補欠になった。
実力でその子が示してくれたのだ。
皆、悔しい思いをバネにして、勝ち取った。
私達、サブチームが代わると、レギュラーよりも声援が大きかった。
見ていてくれてる人は見ていてくれたのだ。
私は誰よりも練習したと言い切れる程に夜中まで、バスケットボールに明け暮れた。
どんなに上手くなろうとも、レギュラーにはしてもらえなかったが、人気だけはあった。
バスケットボール部以外の人達が応援してくれたのだ。
レギュラーとか、サブだとか、拘っていたのは自分だけだった。
やなさん始め、もう一人の子も、バスケットボール部以外の人達も皆、私を思ってくれていたのだ。
やなさんに
「あの時、アドバイスしてくれて、ありがとう!」
と、今なら、言える。
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