体育会系曲歪視

2023.1.21

 私はバスケットボール部だった。

万年補欠のサブチームだった。

走らせると部で一番速いし、シュートも決めたし、ディフェンスもガッチリ付いたし、誰よりも練習したが、補欠だった。大人の事情ってやつだ。

 バスケットボールは試合が面白い。しかし、試合に出れるのは良くて10分くらいだ。

レギュラーだった女の子が試合に負けた時、泣いていたが私は試合にすら出れない。

レギュラーは下手過ぎた。だから、負ける。それは仕方がないことだ。下手なのだから。

その下手な人より、試合に出れずにその泣いている様子をシラケながら見る人間の気持ちをその子は知らない。

 運動部とは負け組、勝ち組を一刀両断にする。

万年補欠の人間は負け組と思い知らされる。

 レギュラーになっている人間にはこの感覚は分からない。

200m走で私は1位になってしまい、2位がなんと陸上部の女の子だった。

 中体連に出る事が決まり、私は申し訳ない事をしたと思った。

何故なら2位になったその子も、1位の私に何かあった場合にスタンバイしてなくてはいけないので、出る訳でも無く、練習に付き合い、競技場まで付いてくる。

 陸上部なのに、こんな屈辱的な事があろうか?

私は彼女と代わってあげたかったが、1位になったのは私である。

せめても練習を真剣にやった。試合に出ないのに、練習する辛さを誰よりも分かっていたから。走るのに手を抜いたら陸上部をバカにした事になる。

 体育会系は勝ち組と負け組をこうやって表してしまう。

勝った方は気分が良いが、負けた人間はその後の人生も左右してしまう。

 1位を取れなかったら、万年補欠だったら大人になっても人生を悲観してしまう。

それが実力だったらまだしも、大人の事情で決められるとなると納得いかない人生を送ってしまう。

 あ~あ、どうせこんなもん、と子供の頃に出来てしまう。

頑張った分だけ損だと感じてしまう。

 レギュラーだった人はこの感情を分からない。負けを知らないのだから。

高校になり、同じサブだった女の子がレギュラーになってキャプテンになり、レギュラーだった女の子がサブになった。実力主義の結果だ。

その子は顧問に

「私、みんなに本当にサブだったの?って言われるよ!」

と言っていた。私と同じく、悔しい思いをしたからである。

 その子がキャプテンなら、その部は成長したと思う。

何故なら、負けを知っている人間が、キャプテンなのだから。

 要領だけ良くてキャプテンになった人は成長しないだろう。

ベンチを温めている人間が日の目を見る時代になって欲しいものだ。

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