隔離

2023.1.21

 私は精神病院に何度も入退院を繰り返した。

 二度目の病院が一番キツかった。

 鍵を掛けられ、外には出れず、朝6時に起きて、晩9時には寝る。

 薬はちゃんと飲んだか、口の中まで調べられて、お風呂は週2回。後は洗面所で髪を洗う。

その度、シートに丸印を書く。

 階段乗降があり、ラジオ体操を朝夕やらされる。

 ある時、Drが

「貴女の診察は東大卒業した人より、やりにくいと思ったら、こんなに本を読んでいたのだね。今日、お母さんに全部持って帰ってもらいなさい」

と、許されたのは別冊マーガレットだけで、唯一の読書も止められた。

 まだ、拘置所の方が本が読めるだけましだと思った。

 私は病院内の廊下を行ったり来たりを繰り返して、逆にノイローゼになりそうだった。

 週二回、下の喫茶店でアルバイトをした。

 時給は安かったが、病棟から出れるので、気休めになった。

 皆、食事の準備を自分たちでしたが、私は働き過ぎで病気になったので、免除された。

 違う棟の男性は自由に煙草が吸えたが女性だけ何故か、時間が決められていた。

 朝一は6時だった。

私は朝が弱くて、仕舞いには吸うことが出来なくなっていた。

煙草タイムは5分だけ。上手な人なら2本吸えた。

 中には本人が吸いたいが、親が駄目と煙草を買って貰えない女の子が吸っている人から、おこぼれを貰っていた。

その姿は見るも無残である。

 消灯後の寝静まった時に必ず3日に1度、食堂の椅子を投げる人がいたり

「私は病気じゃない!」

と言い張る人がいたり、様々だった。

 洗濯機が100円で、私が洗おうとすると、50円出して中に入れる人も居た。

 自由なんて何処にもなかった。縛らなければ命に関わるから仕方がないのだろうが、私はパニック障害と鬱と摂食障害で入院したから、頭はまともだから、とても、キツかった。

 プライバシー等無い。

私はたえきれずに暴れた。

そして、強制退院させられた。

 その後の病院でも、Drの愛人にならないという裏の理由で強制退院させられた。

 まだ、入院が必要だったのに。

 運が良かったのか悪かったのか、急性胃腸炎になり、普通の病院に緊急入院させられた。

 Drは

「どうして、こんなになるまで、ほっといたの!?」

と言われて、事のいきさつを話した。

 母に

「お嬢さんの命は保証いたしませんが、入院させます」

と、精神病院とは違って高い所からいつでも飛び落ちれるし、刃物も自由だし、長い紐もあるから、自らいくらでも死ねるから、その保証はしないが次の精神病院が見つかるまで入院させてくれた。

 しかし、強制退院させたDrが書く紹介状は

「暴力癖あり」

と必ず書くし、他の病院のDrより、格上だったので、母と二人で病院を6、7件回って歩いたが全て

「入院は必要ですがウチではちょっと・・・・・・」

と、断られた。

 そこの主治医が隔週来る精神科のDrを見かねて紹介してくれ、ようやく、切らされていた安定剤を飲む事が出来た。

 いきなり、断薬をすると、禁断症状で身体が震えて来るし、心も萎えて来る。

 しかし、そこの病院は気休めにしかならないが、乳糖を私に渡してくれた。

 階段を走って取りに行って下さり、本当の看護師に会えた気がした。

 新しい精神病院のDrが

「暴力はいけません」

に反論しようとしたが

「何があっても暴力はいけません」

に納得した。

 その緊急入院させた医者と、入院させてくれた医者がいなかったら、今頃、私はこの世にいなかっただろう。

 感謝している。

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