高見沢俊彦についてVol.1

2023.1.26

 高見沢俊彦(以下俊彦とする)は(敬称略)1954年4月17日産まれで血液型はA型である。

 俊彦は織田信長について、1時間以上喋れるそうだが、私は俊彦について、3日3晩語り尽くしても尽くせない位に知っている。俊彦本人が忘れた事まで知っているかも知れないから、本人より詳しいかも知れないし、本人よりも俊彦が好きである。

 こればかりは私でもどうしようもない。

 因みに私は4月16日産まれの同じくA型である。

 俊彦は父、榮さんと母久美子さんの次男坊として産まれた。

 8つ年上の兄、惇一さんがいらして、喧嘩にならなかったそうだ。

 惇一さんは埼玉で一番頭の良い人で有名だったから、弟の俊彦は常に比べられていたが、勉強ではお兄さんには勝てないと感じ、スポーツの方へと動いた。

 中学生の頃、バスケットボールの埼玉地区選手権に選ばれて

出場。みんなの一致でキャプテンに選ばれる。

 しかし、最後の試合で一点差で負けてバスケットボールに背を向けた。

 それから、長髪にし、ギターを買って不良グループにいた。

 父、榮さんは中学校の校長先生だったので、授業はサボるが、それ以上に勉強したそうだ。

 化粧をして学校へ行っていたので、後のメンバー桜井賢に男子校なのに、女がいると勘違いされたそうだ。

 成績は良くて、無試験で明治学院大学へ。

 次の所、試験に出ます❗

 一人で学食でカレーライスを食べていたところを坂崎幸之助が声を掛けて、アルフィーの前進コンフィデンスにコンテストの前の日に加入。

 そして、桜井賢の歌の上手さでプロデビュー。

 しかし、俊彦のルックスを買われ、歌の苦手な俊彦がリードボーカルで、松本隆さん、筒美京平さんのゴールデンコンビなのに、唯一売れなかったバンドとして、夏しぐれでデビュー。

 3枚目の3億円事件をパロった府中捕物帖が発売前日に中止。

犬が首をかしげたマークのレコード会社をクビになる。

 それから、俊彦の作詞、作曲人生が始まる。

     ・・・・・・続く

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