独りだけのお見送り

2023.1.27

 2年前のバレンタインに私の母が亡くなった。朝の6時50分だった。

日曜日だったので、役所はお休みで、保護課に電話しても繋がらない。

母の準備をするというので、一度病室を出る。

病院の相談員が繋がった担当者の電話を渡してくれた。

「この度はご愁傷様です」

と言われ、葬儀屋さんが11時に来るとのことで、1時間位、母と最後を過ごした。

 葬儀屋は手慣れたもので、母を担架に乗せマイクロバスへ。

病院を後にする時、看護師達が私達が消えるまで、頭を下げてくれ、その姿を見た時、母は死んだんだと気が付いた。

 葬儀屋の担当者に

「お母さんの写真を何枚か持って来て下さい」

と言われ、一旦、家に行った。

 そこで、私が良いと思った写真と違う写真を

「これが、いい!」

と選ばれ

「背景はどれにしますか?」

と訊かれ、母は花が好きだったので花柄模様にしてもらい、矢張りプロである。

単なるスナップ写真がどこぞの色っぽい演歌歌手に早変わり。

 おくりびと等、つくわけもなく、私が母に化粧をしてあげた。

頬紅が付き過ぎてファンデーションで抑えると、死後硬直していたのか、皺になった。

鼻の下に産毛があり、電気シェーバーで剃ってあげる。

あの世で笑われない為に私も必死だった。

 次の日、車に乗り、係の方が代わって運転してくれた。私は

「もしかして、霊柩車ですか~?」

「そうですよ~」

と、その方と初めてお会いしたのに、話が弾んだ。

 函館産まれなことと、バンドやっていて、GLAYに先を越されて悔しかった事、父は孤独死した事や、母は私を娘なのを忘れた事や、矢張り夫婦だから愛し合っていたのだと言われた。TAKUROが久保と言って、二人久保君がいて、TAKUROが背が高かったので大久保ともう一人をと言うと

「小久保!?」

と反応して、笑った。

 これから火葬なのに、車の中は笑い声で一杯だった。

私は一応、係の方の為に、ゆで卵とエノキの豚肉巻きを作って行ったが、それは残ってしまった。

 火葬の前に焼香があったが、クリスチャンの私の代わりにその方がしてくださり、待合室へ。そうすると、係の方に電話が掛り

「申し訳ない。最後まで付いていたかったけれど、仕事が入ったので・・・・・・」

「お構いなく」

と、だだっ広い待合室に独りでいて、何をしたら良いか分からず、ペットボトルのコーヒーを2本飲む。

 電話が鳴り、火葬場に行く。

秋田の火葬場は立て直したばかりらしく白い大理石に電灯が反射して眩しい位だった。

 お坊さんやら、普通は2,30人いるのだが、中田家は私一人。

焼き上がりの母は熱く、汗をかきながら骨を拾う。

本当は左手に持つのをてんぱっていた私は右手でも骨を拾えない。

見かねた係の方が

「お手伝いしてもよろしいでしょうか?」

に藁をもすがる思いで、二つ返事で

「はい!お願い致します」

と言っている間に呼んだタクシーが来て、係の方が荷物を持って下さり

「座って!お母さん抱いて行きなさい!」

と母を抱いてタクシーに。

 粗塩を持っていた私は運転手さんに渡そうとするが、家まで荷物を持って下さり、チョチョと塩を掛けて帰って行かれた。

 家に着くと、先程飲んだコーヒーを戻してしまった。

人生はいつも初めての事ばかりだ。

母を抱いた時、私がいて良かったと心底思った。

 先に逝かなかったのが唯一の親孝行だった。

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