高見沢俊彦についてVol.2

2023.2.8

 俊彦は多分、発達障害だと思う。

 デモテープをブーツの中に入れて、気付かすに歩いたり、飛行機の耳詮をしたまま

「耳が変」

と言ったり、レコードを違うジャケットに入れて、ツェッペリンから百恵ちゃんのレコードが出て来たり、山手線でドアに挟まれたり、何から何まで、笑える話が出て来る。

 発達障害の方に勇気を与えてくれる人である。

 自分より、他人を大事にして、とても、信頼出来る人である。

 ガロの大野真澄さんに気に入られて作曲を師事する。

 凄く不器用だからこそ、努力家である。

 女はこういう人に弱い。

特に私は、ギャップがある人に弱い。

 俊彦のドが付く天然ぷりにヤられてしまう。

 今日履いた靴下を捨てて新しいのを履く。洗濯が面倒だそうだ。

 そういえば、函館の靴下屋で靴下を30足買って行ったりしたから、本当だろう。

 その割には靴下を左右違う柄を履いたり、前後ろに履いたり良く分からない人である。

 若い頃はお母さんが一週間に一度来てやって行ったらしいが、今、お母さんの久美子さんは施設である。

 今年で100歳という。

 残念ながら、お父様とお兄様は天に召された。

 男は俊彦、一人になった。

 普段は漫画を読んだり、映画を観たりして過ごしている。

 兎に角、色んな雑誌から本まで読んでいる。

 週刊誌の記者が

「ウチのを読まれているのですね⁉️」

と、驚いた位に読んでいる。

 本人が出る方より見る方になっている。

 曲創りと言えば、ヒット曲を書けという圧が強くなって行った。

 別れの律動(リズム)から暁のバラダイスロードは売れるモノだと確信していたがさっぱりだった。

 創る本人は売れると思ったのが売れなかったのだから、もうどうにでもなれという感じで、アルバムの一曲メリーアンが良いと当時のディレクターに言われシングルカット。

 本当は暁のバラダイスロードを売れさせての武道館と考えていたので、ヒット曲無し武道館とアルフィーは言われてしまった。逆に凄い事である。

 その武道館ライブで、日本中のマーシャルアンプを取り寄せて壁を作った。

 あるバンドのギタリストが

「俺のアンプは❓」

「アルフィーの高見沢さんにお貸ししました」

「なら、俺弾けないだろう」

と言う話しもあったとか。

 俊彦は武道館をアルフィーとオーディエンスの結婚式と考えて、黒と白のタキシードを着た。

 ヒット曲はなかったが、満員になった。

 武道館が終わり、徐々にこしあんじゃなく、つぶあんでもなく、メリーアンが売れて来た。

 そして、後にも先にも最初で最後の紅白に出場。

 俊彦もやっとヒット曲が出たと喜んでいるのも束の間。

 一発屋で終わらせてはいけないと、唯一、ヒットを狙って創った、星空のディスタンスが出来た。

      ・・・・・・続く

 

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