2023.3.21
父は生き別れで、ある日、くも膜下出血で倒れたから、何とかして欲しいと、母に函館市役所から電話があった。
生憎、私は入院していたので、母は
「こちらこそ何とかして欲しいです」
と言った。
あれだけ死ねばいいと感じていた父だったが、命が危ないと言われると何とか頑張って欲しいと思い、カードを出した。
父が退院したのをきっかけに私との文通と電話が始まった。
電話を切る時いつも
「お母さんを頼むな❗」
と言って切る。ならば仲良くしてれば良かったのにと私は思った。
父との最後の電話で喧嘩別れのようになった。
死亡日は10日位のズレがある。書棚に凭れかかって亡くなっていたそうだ。警察の人が見つけてくれた。父は独りで逝った。
あれだけ喧嘩していたのに、父が亡くなると、母の認知症が進んで行った。余程、ショックだったらしい。
施設に入っていたが、脳梗塞になり、病院へと行った。
バレンタインの朝に眠ったまま逝ってしまった。見回りの看護師さんが発見した時には既に息を引き取っていた。
だから、私は両親の死に目に会えなかった。
父の顔は47歳の頃しか、知らないし、母は我が母ながら美しい顔をしていた。
私は両親に産まれて来て良かったと思うが、このような娘で本当に良かったのだろうか❓
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