2023.4.9
私は一応、クリスチャンだ。クリスチャンになろうと思ったのはクリスチャンは優しくて、正しく、清らかだと感じたからだ。そして、修道女がセクシーに感じたからだ。
しかし、教会へ行ってみると、意地悪な人もいたし、社会は何処も変わらないのだと感じた。私が化粧をして、礼拝に行くと、ある女性が
「化粧は偽りの姿でしょう❓」
に、私は身だしなみだよな~と疑問に思った。
世界には宗教が沢山ある。イスラム教やキリスト教やヒンズー教や仏教やら。
しかし、神道だけ、教ではなくて道となっている。それに教典もない。理論より、肌で神を感じる事が日本人は得意なのではないだろうか❓
私はクリスチャンなので、墓参りに行くとお墓掃除はするが手を合わせない。
神以外には手を合わせたら、偶像崇拝として、駄目な事になるからだ。しかし、仏教の人から見ると
「仏様に手を合わせないなんて❗」
と、なる。
その細かな違いが大きくなって戦争になる。なんか本末転倒である。
人を救うはずの神の名で争いが起こる。
私の父は宗教が大嫌いだったので、私が洗礼を受けた事に非常に怒った。父は
「キリスト教に興味を持ったら、聖書を買ってやるし、日蓮に興味を持ったら、仏教の本を買ってやるし、お前が神をいる、いないと思うのは自由だが、宗教だけは入ったら駄目だからな。あれは神の名で困っている人から、やれ献金だ、お布施だとお金をむしりとる悪徳商法よりも悪いヤツラだからな❗」
と、私に言っていたから。
今は行っていないが、教会では10分の1献金がある。自分の稼いだお金を1年分を1か月の12で割り、月1で、支払うということである。
神が「私を試してみよ❗」と一度だけ聖書で言った箇所がある。捧げ物を何十倍にも何百倍にもして、返してあげると言った事から、始まった。
自分の稼いだお金は神が与えてくれたから、返さないといけない。そして、捧げた物を無限大にして、返すということである。私も、10分の1献金をしていた。
それはそれで、良かった事だと思っているから、後悔はない。
しかし、キリスト教にも男尊女卑がある。カトリックの祭壇に立てるのは神父だけである。プロテスタントは女性も牧師になれるが。
そして、男性は髪を切り、女性には被り物をさせる。髪を伸ばしたい男性も中にはいるだろうに。イエスはロン毛なのに何故❓と疑問に感じた。
実はクリスチャンになる前に神社の祠で一時間位神と友達の様に話していた。煙草を吸わないだろうが、5本置いて缶コーヒーをあげて、今日あった不満やら、楽しかった事を神に話した。その頃、おみくじを見ないでも、これが大吉だと分かる力があった。そして、危ない目から、ことごとく守られていたのだ。
今は宗教には入らないで、心の神を信じているが、神社や教会へ独りで行くと、特別な空気に包まれる。クリシュナも大好きである。
神は何でも来いとなっている私である。
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