2023.9.13
世の中 有名な起業家はたくさんいる
松下幸之助氏や 稲盛和夫氏 しかし私が一番尊敬するのは 父の父である 私にとって 祖父 である
祖父は 奥尻島に生まれ 中学を卒業し 勉強もあまり好きじゃないし 何を仕事にしようと 考えながら 窓から見えた フェリーから降りてくる 乗客を見て ハイヤーをやろうと ひらめいた
これが 東京だったら すぐにハイヤーを買うだろうが 奥尻島には ハイヤー どころか 車も売っていない
祖父は 函館から 中古の自動車を買い それにペイントして 奥尻ハイヤーと書いたのだ
誰も言わなければ それが素人の祖父が書いたと 思えないほど立派な出来であった
そして 車も売っていないんだから 修理工場もない島
だから車が故障すると 全部自分で修理した
父は 5人兄弟の長男坊 として生まれた
祖父が 車を乗せて 島を一周して見せて 今度お前が運転しろと 小学校6年生の父に 運転させたのだ
仕事は 教えてもらうんではなく 目で見て盗め という考えだった だから父は 祖父の見よう見まねで 車も運転できたし 修理までしてしまった
しかし 父は 2代目とか 親の後を継ぐとか そういうのが大嫌いな性格だから 小学校卒業し 1人 函館 へ行き 下宿をしながら 中学校へ通った
小学校6年生の時 小学校6年生という雑誌に 編集長宛に 手紙を書いたら それがえらく気に入られて 旅費を全部出すから 遊びにおいでと 東京へ 1週間 遊びに行ったというのがいい思い出だったと言っている
東京など 都会に住んでいたら 祖父の発想はなかっただろう
何もない中だから 全て自分でやる という精神が 植え付けられている
東京で タクシーを運転してる人に その乗ってる車のペイントできるかといえば まず 皆無であろう
自分の車が故障したら直せるかと言ったら まず 直せないであろう
それが 祖父 父は全部一人でできた
父の5人兄弟 父 妹 2人 今は亡き弟1人 その下に 妹 1人 皆 大型2種免許を持っている
男女とか関係ないのである
父は 後を継がなかったが 今は亡き 弟さんがその後を継いだ
今では 私のいとこである 女の子が 婿養子を迎え その男性が 奥尻 ハイヤーを 支えている
奥尻にはタクシー会社が2社ある 祖父が作った奥尻 ハイヤーと 空港の近くにある 瀬棚 ハイヤーさんである
瀬棚 ハイヤーさんは 祖父の 考えを 逆に 飛行場に近いからと言って それを受け継いだ みたいだ
何でも初代は 道を作るために 土壌を耕す しかし 2代目は できた道路を 軌道修正 するだけである
父の 何でも一番になりたがる 性格では 2代目は 嫌だったろう だから 後を継がなかった
しかし 祖父の精神 仕事は 目で盗め は 受け継がれている
父は私にも
「 仕事は教えてもらう もんじゃない できるという 人の 仕事を 雑用しながら 目で盗んで 仕事を覚えなさい そこら辺の 大卒のバカな男の様な事は聞くなよ」
と 教えられ育ってきた
だから私は どこで働いても 女のくせにと煙たがられた
女だから 腰掛けとか そういう考えは私には一切なかった
そこら辺の男の人より出世したかった
自分よりバカで 仕事もできない しない 男よりも 給料が安いことに愕然とした
みんな 話すことと言ったら 女の話とか そんなことばかりだ 誰も 三島由紀夫も読んでいないし 福田恆存の存在も知らない
そんな人たち ばかりだから 私は会社で無口になって行った
そして男というだけで 給料が良く 出世の道も作られている 何か変だと 疑問に思った
定時に会社に来て 定時に帰り その仕事ぶりと言ったら 別にできるわけでもないし 女性の方がはるかに働いている
そして 女性の方が給料が安いだなんて 不条理だと思った
愚痴を言ってもし仕方ないから 自分で起業することを考えた それが今の~spacy~ である
私は意外と 男性とお話するのが 向いていると気づいたからである
今一度~spacy~を やりながら 文章を書いたり 歌を歌ったりしようと 考えている
私は多分 あと何年かしか生きられないだろう
自分の人生 悔いなく生きたい これが私の今、思ってることである
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