処女の血は美しい❗

2024.1.11

 処女の血は美しいのは本当なのです。

年齢とか経験とかではなく、分かりました。

 高校生の頃、お手洗いに入って小をして便器を見ると薄いピンク色をした本当に清らかな美しい赤い血が出たのです。

 私は

「あっ❗これだ❗」

と、分かりました。

 カメラを持っていたら撮りたいほどです❗

 女性は運動をし過ぎると、その運動し過ぎた為に自分で処女膜が切れてしまいます。

 多分、今、プロのバレーボール選手やバスケットボール選手の殆どの女性が運動のし過ぎで自分で切れているでしょう。

 私はとにかく、運動のし過ぎです❗

 幼い頃から男の子達と一緒に走り回り、小学生の頃も、ドッチボールをやると必ず私一人だけ残って、相手のチームが10人残っていると、一人の男の子に当てて、弾けたボールがもう一人の男の子に当たり、私のチームが二人入れます。

 とにかく、一度もドッチボールに負けた事がございません❗

 しかし、ある男の子だけ私と敵チームになると、その男の子と私の一騎打ち対決になります。私は負けず嫌いですから、その男の子の投げたボールを必ず受け止めて、その男の子に全力で投げると、その男の子も受け止め、永遠に終わらないと分かった先生が

「はい❗止め❗お互いじゃんけんしろ❗」

と、言われて私はとにかくじゃんけんがとても弱いのです。

 アッチムイテホイをやると、買った相手が指を指す前に、なんだか分かりませんが勝手にその前にその方向へと、顔が動いてしまうのです。

 「先生。実は私、とにかく、じゃんけんが弱いのです。負けました」

と、言うと、その男の子が

「俺も実力以外は全て負けと思っているから、俺のチームが負けました」

と、言ってしまい、先生も困って

「じゃあ、今日は引き分け❗」

と、言ってしまいます。

 その男の子と私が同じチームなら、相手チームがもう負けたと思ってしまうのです。

 小学生の頃、陸上クラブと、男の子に混じってサッカークラブに入っておりました。

 北海道ですから、雪にボールが埋まっても、何とかボールを蹴り上げてサッカーを致しておりました。

 中学生になり、サッカー部に入ろうと思ったら、女子はダメと、言われ、私の中学校は吹奏楽部とバレーボール部が北海道で一番になり、日本でも、5番以内に入れる程、強いのです。

 しかし、私は短距離走はもっと早い人と走ると、せいぜい2番ですから、バレーボールは無理だと、分かりました。

 そして、吹奏楽部に入ろうかと思った時、俊彦が埼玉県で一番上手いバスケットボール選手だと言う事を知って、そんな不純な理由で入部致しました。

 私の中学校はマンモス学校で全校生徒を合わせると、1500人以上おります。

 1年の頃は13クラスありました。一クラス50名入れても13クラスもあり、何とか人数を減らしたいが為に、もう1つ中学校を造っても、ようやく12クラスになる位、人数が多かったのです。

 女子バスケットボール部に1年生が50人以上入って来ました。

 2年の先輩と3年の先輩はバスケットボールの練習をしたい為、私はもう既に分かっておりました。バスケットボールを持つ前にとにかく、長距離を同じ速さで走らなくてはいけないので、とにかく、ボールは持たせてもらえずに走らされるなと。

 今でこそ、ようやく一時間事に休憩を取って水分補給をするのですが、私の時代は練習中は水を飲んだらダメですし、疲れたといって休んだら、ダメでした。コッソリ水を飲んだり、休んだら、即退部させられる位、厳しい時代です。

 男子は50周、女子は25周、グランド、それも、グランド内ではなくて草も生えて、石が転がっている、外周りを走らされました。私と同じクラスの女の子が

「中田さん。私バスケットボールをやりたくてバスケットボール部に入ったのに、これなら、陸上部の方がマシ❗陸上部だってグランド内で走るのに、その端を走れだなんて。私辞める」

と、たった1日で20人しか居なくなりました。

 とにかく1年生は体育館にすら入れません。学校の廊下から3階まで、階段を走り、10周3分以内で走らなくてはいけないのです。

 バスケットがやりたいけれど、身体が弱くて、出来ない先輩がストップウォッチを持って

「ヨーイ❗スタート❗」

と走ると必ず私が一番でした。

 先輩達はとにかく、私にはとても優しくなさって下さいました。

 私は同じバスケットボール部の女の子と仲良くなって

「中田さん。みゆきって漫画があるの」

 私は全く知りませんでした。あだち充さんが描いたタッチの前に出した漫画です。

「そこに登場する先生が中田虎夫って言うの。中田さんは女性だから、トラって呼ぶね」

と、ニックネームを付けてくれたら、次の日から、バスケットボール部の同じ年の女の子が「トラ、トラ」

と、呼ぶのですが先輩達は

「トラちゃん」

と、目上なのですが、私にはちゃん付けで呼んで下さるのです。

 唯一、乙女ちゃんとニックネームを付けられた女の子以外は全て名字で呼び捨てなのに。

 2年の先輩達が優しく分かり易くバスケットボールの持ち方やドリブルの仕方等、廊下で教えて下さいました。

 トラとニックネームを付けてくれた6つ年上のお兄様の時代はあの中学生には構うな❗全部不良だからと言われる位、函館で有名でした。あの中学校の名前を行っただけで大人達も逃げる程です。

 バスケットボールの休憩で全員煙草を吸っていると、聞いた時には私も驚きました。いくら不良でも、煙草を吸ったら、肺活量が無くなるのに、そんな事構わねぇ~と、言う位なのです。それでも、当時のバスケットボール部は函館で一番強いので不思議に思っていたら

審判が見ていない時に相手チームの選手に蹴りを入れて転ばせ、ボールを奪ってシュートを決めていたからです。

どんな手を使っても勝ちゃいいんだ❗試合開示の前に相手チームにガンを飛ばしてビビらせて、相手チームがシュートするってなら、腹にバンチを喰らわせて、ボールを奪ってまたシュートと、言う事を聞いて私は思わず笑ってしまいました。

 バレーボール部は2時間練習すると帰るのに、北海道で一番ですが、私達の時代はバスケットボール部が夜の8時まで練習するのに何故か弱小チームでした。

 それが、分かったのです。顧問の先生は学生時代にバレー部で、バレー部の顧問の先生はバスケットボール部でした。 

 とにかく、バレーボールしか、やった事が無い人はバスケットボールが出来ませんが、バスケットボールをやった人はバレーボールも出来るのです。

 その理由は相手の間にネットが張られているからなのです。

 バレーボールは同じメンバーで指でサインが出来ますがバスケットボールはそのような事をしたら相手チームに直ぐにバレてしまいます。ですから、こっちへ行くと見せ掛けて一人の選手がその選手の後ろに走り後ろでボールを渡してシュートしなければいけません。

 練習中は目で合図致しますが本番は意識疎通位出来ないといけません。そうしなければバスケットは出来ないのです。

その上、バスケットボールをするには持久力が無くてはいけません。よくおりますよね。背が高いからバスケットボールをやっていた人が自分には持久力が無いことに気付いてバレーボールに入った途端にそのチームが最強チームになる事が。

 ですから、バスケットボールをやった人はバレーボールの作戦が練れるのですが、バレーボールしかした事が無い人はバスケットボールの作戦が練れません。

 家へ帰ると夜9時になります。ご飯を食べて、ベッドに足を引っ掛けて腹筋100回、今度はベッドに足を引っ掛けて背筋100回やった後、腕立て伏せ100回、指立て伏せ100回、親指だけで100回やり、今度は人様、中指、薬指、最後は小指だけで100回をやり終えたら、自分のバスケットボールを持って外に出て、ドリブルを走りながら100周すると、今度は左手に持ち替え、ドリブルをまた100周、今度は右、左と交互に替えながらら走りながらドリブル100周、今度は後ろで、右、左交互に替えながら走りながらドリブル100周すると、本当はいけないのですが、左のお向かいさんのお家が車の駐車場を造った為にコンクリートの大きな壁があるので、そこにぶつけて跳ね返って来るので、パスの練習を100回やり、ゴールネットが買えない為、ここがネットだと思ってシュートの練習を100回やったら、お風呂に入って、アンプにベッドホォンを差してエレキギターのライトバンド奏法の練習を納得行くまでやり、とにかく早弾きを納得行くまでやったら、6弦を人差し指で完全に押さえて100回、一度も6弦きちんと押さえられたら、終わり、しかし、一回でも、どこかの弦が完全に押さえられなかったら、また、100回。完全に押さえられたら、練習が終わり時計を見ると0時半、1年生の一年間毎週水曜日にアルフィーのオールナイトニッポンを朝の3時まで聴いて、其れから眠るので、いつも学校ギリギリか遅刻ばかり。

 そして休み時間に私が

「マドンナって、ま~どんな人」

クラスメイトの女の子に話したら、その女の子はボカ~ンとしておりましたが、机で眠っていた男の子の耳に入り、その男の子が笑いを堪えきれずに、笑ってしまいました。

 そんな事ばかりしていたのによく中学校を卒業出来たなぁ~と、今でも不思議です

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