私のバカの基準

2024.3.22

 皆さん、私がブスと不細工が嫌いとお思いでしょうが、自覚がある人は大好きなのです。

 ブスなのに

「私は可愛い❗」

や、不細工なのに

「俺って、カッコいい❗」

と、身の程を知らない厚かましい人が大嫌いなのです。

 大学教授の受け売りな言葉でやたらめったら、難しい言葉を並べて、何故、ここで英語で話すの❓と、思ってしまうバカな男っておりますでしょう❓

 その男も自分が何を言っているのかサッパリ分かっていないのです。

 小学生の男の子は大人の男性よりも、語彙力が無いはずですが、自分の思った事を自分の言葉で話せる男の子の方が、そんなバカよりも、私は人として尊敬致します。

 あと、女性でも男性でも自分の足で歩いて来なかった人はハッキリ申しますと、大嫌いです。

 1000回以上倒れて、100回以上、周りから笑われ、恥をかいて生きて来た人がようやく大人になれるのです。

 ラジオを聴いていたら、60代位の男性が

「今の若い方はある夢を叶える前にそれにチャレンジする時、必ず何か、保険をかけてから致します。その生き方は非常に合理的ですが、その様にチャレンジしても、私は一流にはなれないと思います」

と、仰っておりました。

 私も彼と同意見でございます。

 ある男の子が

「サッカー選手になる❗」

と、その夢にチャレンジしようとすると、周りの大人たちが

「そんな事無理だから、大卒の資格と〇〇の資格を取りなさい❗」

と、言って、その夢を潰してしまいます。

 それにチャレンジする時

「〇〇とΧΧの資格を取ってから、サッカー選手が駄目だったら、この資格を持っているから、一応、俺の人生は失敗しないな」

と、その資格取得の間に、先にある男の子に越されてしまい

「やっぱり、俺には無理だった」

と、何の努力もしないで、自分の夢を自分で潰してしまう人が多い事がとても私は残念でなりません。

 保険をかけてから、チャレンジしているようでは、その人間は何をやっても、一流にはなれません。

 私の時代はあれになりたい❗と思ったら、そのまま、その夢にぶつかって行きました。

 その夢が叶わなくても、また、次なる夢が目の前に出て来ます。

 そして、全力でその夢を叶える人もおりますし、叶えられない人もおります。

 そして、何度も挫折して、自分の適性に合った時、その道のプロになれるのです。

 今は初めて行く場所はナビゲーターを使うので、ナビゲーターが異常ではない限り、その目的地に一発で行けます。

 しかし、自分で住所を調べて、見知らぬ人に尋ねて、その女性が

「あちらの角を右手に回ると、多分、あなたの行きたい目的地に着くと思います」

と、教えてくれて、その通りに行くと、そのお店が移転していたので、側にいるご高齢の男性に尋ねると

「そのお店なら、2か月前に、あのデパートに移りましたよ」

と、教えられます。

 そのデパートを目指しますが、なかなかたどり着けません。

 若い男性サラリーマン風の人に尋ねると

「全く逆の方向ですから、戻って100m先にそのデパートがありますよ」

と、教えてもらって、ようやくその目的地にたどり着きます。

 一見、無駄に感じるでしょうが、そのおかげで見知らぬ人に3人と会話できたのです。

 その上、初めて見る景色に触れて

「此処にケーキのお店があったのだ❗」

と、気付かなかった事を発見出来ます。

 今の歌の聴き方は前奏と間奏を飛ばして歌だけを聴くと、聞いて、私はビックリ致しました。

 ですから、今流行っている歌は殆どが前奏が無い歌ばかりです。

 私は前奏と間奏は必要だと思っております。

 前奏で、歌詞を聴く前にこんな風な歌なのだろうと、想像力が鍛えられるからです。

 映画も本もストーリーだけ分かれば良いと、全部見ません。

 そのような合理的な生き方ばかりしていると、ちょっとしたミスでその人は慌ててしまいます。

 失敗しても

「命が持って行かれる訳じゃ無い❗」

と、腹をくくれる人がいなくなりました。

 その人は自分の人生を歩んゆ

でいるでしょうか❓

 私はもったいない気がするのです。

 正直、そのような生き方をなさっている人に人間として全く魅力が感じられませんから。わざわざ、お友達になろうとは致しません。

 これが、私のバカの基準です。

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