自分には向いていない

2024.6.21

 頭の良い人は特に男性は声が甲高いし話し方が早い。

 勿論、口下手でゆっくり一生懸命話す人は別として。

 周りから

「たまには俺に喋らせろよ❗」

と言うと

「あっ、いいよ」

と言って、相手が話そうとすると

「あっ、こないだこんな事があってね」

と相手に話す隙を与えない人があなたのお友達に一人くらいいらっしゃるだろう。

 何故なら頭の回転が早いから、ついつい声が甲高くなり早口になってしまうのだ。

 後、日本人でも日本語も早口だし、時々、英語やドイツ語やらフランス語等を交えて話す。

 自分が分かるから、相手も分かるだろうと本人は思っているのだ。

 私の幼い頃に皮膚科の名医のご高齢の男性がいた。

 正直、何を話しているのか分からない。

 日本語もマトモではないのに英語やドイツ語を交えて話す。

だいたい

「のぞ美ちゃんの脚にはやけどの痕が一生残ってしまうけれど、年頃になって気になったら私が手術してあげるからね❗」

と言っていた事は分かった。

 多分、カルテの文字も読めないだろう。

 何かに秀でている人は何かが全く出来ないのである。

特に普通の生活は全くダメな人が多い。

 部屋がグッチャグチャだったり、洋服は着れたらそれで良いと思っていたり、その人に取ってはご飯が食べれて、服は着れたらそれで良いし、乱雑に人からは見えるが本人は何処に何があるのか分かっているし、自分では綺麗にしているつもりなのである。

 それと同じく、字が汚い人ほど地頭が良い。

 皆さんもクラスで美人の女性なのにどうしてあんなに字が汚いのかとビックリする女性が一人くらいいただろう。

 その女性はクラスでいっつも一番だったし、人間的にかなり頭が良かったはずである。

 字が汚い人は自分が読めるからみんなも読めるだろうと矢張思っている。

 その女性はルックスは綺麗だがかなりの変わり者だったはずである。

例えば、みんな彼氏がいるのに何故かその女性だけ彼氏がいないが全く平気で生きている。

下手すると一生彼氏がいない。

 普通のレベルではないから、男性たちが付いていけないし、自分が美人だという事に気付いていないから、周りの男性たちが好きな事に全く気が付かないし、恋愛よりも大事な事があって男性と付き合っている暇が無いのである。

 私が学生の頃に女子は丸文字が流行り、殆どの女の子が丸く文字を書いていた。

しかし、私は不器用なので、丸文字が書けないし、書道は3段だったがペン習字はハッキリ言って見せられたモノではなかったから、年賀状を書くのが実は苦痛だった。

 ある女の子のご両親が気を遣って

「中田さんは達筆だね❗」

と、お世話だと分かる事を仰って下さった。

 あるクラスの男子が

「中田って、何書いてんだか分からない❗」

と言われていたし、自分でもペン文字は苦手意識がある。

 父に

「おまえは自分が分かるから、そんな字を書くんだな」

と言われていたし、ある男子に

「中田❗俺にも喋らせろ❗」

や、卒業の寄せ書きに

「中田はウルサクて迷惑でした」

と書かれる始末。

 (そんなにウルサかったかしら❓)

と考えても口を開くとアルフィーと俊彦の話しやエレキギターやギタリストやバンドや自分の興味がある事しか喋らなかったから、周りの特に男子からは女扱いされなかったし、ある女の子に大人になってから

「貴女と話している空想劇にいっつもビックリさせられたわよ」

と言われてしまった。

 その時に伝えてくれたら私も気付くはずだったのに、時既に遅し。

 私は頭が良いより変わり者と思われていたから、普通に友達も男性も誰も私に付いて来れなかったと今になって分かった。

 秋田に来てある病院に入院した時、七夕の時期でみんなで短冊に願いを書くという時、新米のサブDrが

「〇〇先生の文字が読めますように❗」

と書かれてあり、患者全員、大笑いだった。

 患者を治す医者に限って、患者さんの顔をジーっと見たまま

「それで、どう致しました❓」

とカルテの線など全く無視して

「これは平仮名の”あ”か”ぬ”だろうか❓これは英語の筆記体だろうが、何て書いてあるんだ❓多分、ドイツ語だろうけど、一応、医学部卒業した俺でもこのドイツ語、分かんねぇ~❗」

と、シッチャカメッチャカの文字を書くし、所謂、ミミズが走っている文字を書く。

 学校で頭の良い人は先生がノートを提出してもらった時に必ず

「こいつの字はいつも読めない❗」

か、全くノートに何も書いていないから、ノートを買う事自体が無駄ではないか❓と思う人に別れる。

 ノートを取るタイプは矢張、自分が読めるから、みんなも読めるだろうと思っているし、ノートを全く取らない人は授業を一回聴いただけで全て覚えて忘れないし、自分の方が分かっている事をわざわざノートに書く人間はいないだろう。

 私は喋り過ぎて授業を全く聴かなかった時、ある女の子にノートを貸してもらった。

その女の子は綺麗な丸文字にマーカーで綺麗に線を引いていたり、四角く囲っていたりと、全く勉強が出来ない私でも、その女の子のノートを見たら、その授業が全て分かって、お陰でイイ点数が取れたが、そのノートを取った女の子は余り成績がふるわなかった。

 ある時、ノートを綺麗に書いてしまう人はそちらの方に意識が集中して、勉強が余り頭に入らないと聞いた。

それで、なるほどなぁ~と思った。

 そういった人のノートは殆どの人が見たら、勉強が頭に入るように書かれているが、書いている本人は綺麗に書く事で満足してしまうから、余り頭に入らないのである。

 勿論、元々、字が綺麗な人もいるが、自分のノートや自分が確認するだけの手帳やメモは自分が分かるくらいが良いと思う。

 最近はスマートフォンやタブレットやパソコンにスケジュールを入れる人も多いだろうが、私は全て手書きである。

日記も手書きだ。

 時々、自分の書いた事が読めない時がある。

書いている時は分かっているのだ。

しかし、だいたいが分かるから、これと言って不自由ではないが、書いたモノは全て赤の他人からしたら、単なる落書きに思えるだろう。

 一度、自己改革しようと通信のペン習字をやったが私には無駄だった。

 せいぜい、人に手紙を書く時、ゆっくりと心を込めて書くくらいだが、正直、私のルックスとは全く違う印象を相手に与えてしまう。

 自分が読むモノは自分が読めればそれでいいと今は思っている。

 人には向き不向きがあるのだ。

だから、今更、ミニマリストを目指しても、私には向いていないから、読みかけの本やら、CDやDVDがある所に山積みになっている。

 だから、男性を部屋にいれたくないし、出来れば女性も正直、見られたら恥ずかしい部屋である。

 訪問看護さんやヘルパーさん、仕事の用事がある人以外は友達を部屋に上げた事が無いのである。

 人間、矢張、向き不向きがあるから、今更、じたばたしないようにしている。

 一種、開き直っている私である。

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