猫の話しをもう一つ

2024.7.31

 私が秋田に来て、もう家事でそのアパートは無くなりましたが、6畳ひとまのバストイレが一緒のアパートに住んでいた時、近所に野良猫が15匹以上おりました。

 1階には来ないのですが、私の2階には私の部屋やお隣のタクシーの運転手さんの部屋やもう一人の男子大学生の部屋に2匹入ったり、お手洗いをしたいと、ミャーミャー鳴いて、外に出たりしていたのです。

 大きな猫を周りの人は

「ドラ」

と、呼んで、小さな猫を

「ミミ」

と、呼んでおりましたが、私の母は大きな猫を丸いから

「いまる」

と、呼んでいて

「いまるの方が蚤が多いから、楽しい❗」

と、蚤を取ってあげていたのです。

 すっかり、いまるを男の子だと思っていた母が

「女の子だ❗」

と、ミミを女の子だと思っていたら

「男の子だ❗」

と、ミミは耳が少し切れているから、私は

「去勢手術しているよ」

と、言ったら

「近所にペットショップがあるし、動物病院があるからかも❓」

と、全ての猫が手術されておりました。

「誰かにもらって欲しいのね❗」

と、言っておりましたが、母が市営住宅の抽選会に私に黙って行って、私が帰って来たら

「市営住宅が当たったよ❗」

と、言ったので、そのアパートの家賃よりも、安かったので、引っ越しました。

 母が引っ越し後に、もう一度、アパートに行くと、ミミかミャーミャー鳴いて来たので、抱いてタクシーで連れて来てしまったので、近所のスーパーで、猫の砂を買ったら、きちんとそこで用を足したのです。

 ミミが5階の手刷りを渡って、驚いた顔をして、戻って来たので、お隣を覗いたら、とても美人な猫がいたので、ミミはそのような美人の猫を初めて見たからビックリしたのです。

 実は私は一人娘なので、両親がのぞ美が寂しいだろうと、保護犬ばかりをもらって来たのです。

 どうして犬ばかりをもらって来たかというと、父が猫が大の苦手でした。

 猫を見たら

「キャ」と、洒落ではないのですが、猫が苦手な男性でした。

 その父の父は半径1m以内に猫が居たら、全く動け無いくらいに猫が苦手というよりも、もっと、多分、アレルギーみたいな男性でした。

 ですから、父が居ない時にようやく猫も相棒に出来たのです。

 私は猫も犬もどちらも大好きですが、相棒がこの世を去る度にとにかく辛いし、今は動物を入れる事が出来ませんし、もし、私に何かあると、責任を取れませんので、相棒は諦めております。

 そのような事で相棒はもうおりません。

 ですが、今まで、たくさんの相棒たちがいたので、それが私の誇りです。

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