2024.12.7
よく有名人がある事無い事をマスコミに書かれるからという解釈がありますが、私は違う解釈です。
幼い頃に何か悪い事をして、父に平手打ちをされました。
父はいくら悪い事をしたからといっても、私を平手打ちした事を悪いと思ったらしく、一時間後に
「ノン❗お父さんと少しドライブに行こう❗」
と、函館山の真逆の東山に連れて行きました。
雲が手に取れるような山に降りて、お互い座りながら
「さっきは痛かったか❓」
と、訊かれ、私は痛いというよりも、自分が悪い事をしたので、ただ、頷きました。
その後、父は宙を見ながら
「ノン。芥川や太宰や三島を真剣に読み過ぎるなよ~。生きている事がバカらしくなるからな~」
と、言った事だけ覚えております。
それが、幼少期によ~く、分かったのです。
隠れて三島由紀夫を読んでいると、三島が
「のぞ美さん。そんな中途半端に生きているなら、私の世界に来ないか❓」
と、ペンどころではなく、ピカピカの日本刀で誘うのです。
幼いながら、怖くなり、途中で読むのを止めました。
太宰治を読んでいると、太宰が
「のぞ美さん。そんな中途半端な生き方をしているなら、こちらに来ないか❓」
と、沼に引きずり込まれそうになるし、芥川龍之介を読んでいると、芥川が
「のぞ美さん。そんな自分の人生に負けたのなら、私のようにしなさいな」
と、死の世界に誘うのです。
私はそれから、特に小説を読む時は第三者目線で読む事に致しました。
「この小説家はこの男性にこう言葉を言わせたかったのだろう」
「この小説家はこのような結末にしたかったのだろう」
という具合にです。
そして、特に三島と太宰と芥川を読む時は第三者目線から、絶対に引きずり込まれ無いように、鉄線を張って、その外から読むようになりました。
そうしないと、自分を殺してしまうからです。
ですから、絵描きのゴッホは本物の絵は私は見れません。
もし、見てしまうと、多分、自分の耳を切りたくなるだろうし、同じく死にたくなってしまうでしょうから。
ですから、”ペンは剣より強い”という言葉は美しい文章の中に入ってしまうから、自分の生き方が中途半端に感じて生きているのがバカバカしくなってしまう事を私は指していると、幼い頃に感じました。
皆さんも、文学や芸術を嗜む事はよろしいのですが、自分があちらの世界に誘われ無いように、お気をつけ下さいませ。
コメントを残す