2025.4.7
私は幼稚園の頃、東京大学に行って、学者(科学者、発見者)になって、母に死なない薬を作る❗と、公言していた。
大学は東京大学しか知らなかったし、学者しか知らなかったからである。
父に天体望遠鏡が欲しい❗と、言っていたが、何故か父は顕微鏡を買って来た。
私はワラジ虫には非常に可哀想な事をしたが、ワラジ虫を掴まえて、プレートに挟んで、必死に右手でワラジ虫の絵を描いていた。
その自分にしては研究がいずれ、母に死なない薬を作る事が出来る❗と本気で思っていた。
しかし、小学生になると、早稲田大学の名前を知り、私の心は俄然、早稲田大学に行く気に変わった。
そして、早稲田大学の哲学科に入ると決めた。
算数や数字では1+1=2で正解だが、哲学は1+1が何故2になるのか❓5かも知れないし、∞かも知れないし、答えが無いかも知れないと所謂、難癖を付ける事から始まるから、そこが面白いからである。
私は白黒ハッキリつけたいタイプだから、逆に自分の答えが違う方向から見たら、全く違う答えになるのでは無いか❓と、考える癖がついていた。
しかし、一見真逆のように感じる数字と哲学は同じである。
数字もその答えを出すまでにかなりの時間をかけて、答えを出すし、まだ、見つかっていない数式がたくさんある。
何度も何度もやって、漸く答えが出るし、今まだ出ない答えもある。
多次元に物事を見るところが哲学と同じだからか、哲学家は数字が得意な人が多い。
私の父が生前の頃
「ノン❗面白い本見つけたから送る❗」
と、0の数式という本が送られて来た。
中に何枚か、父が自分で書いた数式が入ってあった。
0は本当に0なのか❓という内容である。
中島義道氏は
「大学に哲学科はいらない❗」
と、言っているのは私も解る。
哲学科を卒業しても、何処にも就職出来ないし、哲学家になって、本が売れたところで雀の涙位の収入だし、大学教授になっても、ようやっと生活出来る程であるから、人として生きて行くには全く潰しが効かない。
そして、女性は哲学家は無理と男性は言うが、私は性別は男性、女性とあるだろうが、脳の男性性、女性性は人によって違うと分かっている。
最近の女性は頭の中身が全て男性脳ではないか❓と思う事が多々ある。
女性の私が好きでも無い男性に
「温泉に行こう❗」
と、言われて、モーテルに連れ込まれそうになった時、殆どの女性達は連れ込もうとした男ではなくて、私の方が悪い❗と、
言った時に私はかなり驚いてしまった。
少し前なら、女性達は
「その男、ぶん殴ってやりたい❗」
と、同じ性の女性の味方をしたであろうから。
否、昔も女性達は同じ性の女性の敵であったであろう。
高校の時の保健体育の女性教師が男性の車に乗って、3人もの男たちにレイプされたのに
「見知らぬ男性の車に乗った女性も悪い❗」
と、言った時、私は
「完全に男たちの方が悪い❗」
と、腹が立った事を覚えている。
いつの時代も女性は男に味方をして、傷付いた女性を守ろうとはしなかった。
私がもし、哲学科に入っていて、卒論のタイトルは
「何故、男は自分がストーカーされたら、あんなにギャーギャー怖がる癖に女性にストーカーするのだろう❓」
に、したであろう。
実際、私にストーカーした男の部屋に好きでも無い女性が居ただけで
「スンマセン❗スンマセン❗」
と、大声をあげたからである。
自分がされて、そんなに怖い事を何故、私にするのが疑問だった。
自分がされて、嬉しいのならばまだ、解るが、私よりも、大声で助けを求めたから、呆れてしまった。
ストーカーされた数ならば、多分、世界一だと思うし、好きでも無い男たちに告白されたり、モーテルに行こう❗と、言われた数も世界一だと思うから、私の得意分野で卒論を書いたであろう。
後、本を書くなら
「何故、同じ性の女性達が敵になるのか❓」
にする。
もしかしたら、ベストセラーになって、今頃、左うちわで生活出来ていたかも知れない。
しかし、私は高卒のままである。
今さら、大学に行く気は無いし、必要性が感じられない。
道は違って歩いてしまったが、私はまた、違う目標を見い出したから、我が道を杖をつきながら歩んで参ります。
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