2025.4.16
今日は私の54回目の産まれた日である。
たくさんのお祝いのお言葉、ありがとうございます❗
実は私は5月8日産まれの予定でしたが、約3週間も早く出て来たので、産まれる前から、せっかちな人間です。
私の産まれた年は第三次ベビーブームで一番、人口が多く、陣痛の母は私が産まれるまで、病院のソファーに横にされておりました。
お手洗いに行く度に
「産まれる~❗」
と、何回も言ったそうで、とうとう看護師さんに
「中田さん❗後、半日は産まれませんから、大人しくしていて下さい❗」
と、怒られたそうです。
漸く、分娩室に連れて行かれた時、お医者さんが私の父に
「奥様の命を取りますか❓お子様の命を取りますか❓」
と、訊かれ、父は一か八かにかけて
「どちらもお願いします❗」
と、頭を下げ、祈りながら待っていたそうだ。
もしかしたら、私はこの世に産まれていなかったかも知れないし、私が産まれても、母がいなかったかもしれなかった。
私が出て来た時、蒼白い色で、全く泣かなかったので、お医者さんが私の片方の脚を持って逆さにして、お尻を軽くペンペンと叩くと、蚊のなくような小さな声で
「ふぅわぁ~」
と、泣いたら、看護師さんが私の母に
「女の子ですよ~❗」
と、抱かせてあげようとした時
「こんな猿みたいな赤ちゃんが女の子❓せめて、男だったら良かったのに❗」
と、思った程、全身真っ赤っかで毛むくじゃらだったが、肝心の髪の毛が全く無い。
1日、保育器に入れられたが、女性が髪の毛が無いと可哀想だということで、私は10歳になるまで、一度も髪の毛にハサミを入れさせてもらえなかった。
私の父は
「ノン❗親孝行しようと思うなよ❗おまえが3才になった時、全ての親孝行をしたんだからな❗」
と、良く言われたのは母も私もこの世にいなかったかもしれないからであろう。
父は私に
「お父さんがお風呂に入れてやると、泣きやんで気持ち良さそうに抱っこされながら、洗わせてくれた❗」
と、父は私がお父さんっ子である事を大人になっても言い続けた。
私は人見知りで未だに覚えているのが、一時期、アパートに住んでいる時、ご近所の方々が親切心で私を抱っこしようとすると、泣いて逃げる女の子だったから、父しか抱っこされて泣かない子だった。
幼稚園の父の日に大沼公園の施設でみんな父親に肩車されて、歩いている時、父が仕事が忙しく、代わりに母が私を肩車している間、私はずっと泣いていた。
「のぞ美の事、どうでも良くなったの❓」
と、母が一番困ったであろう。
仕事からやっとやって来た父に肩車されて、私は機嫌が良くなった。
矢張、子供にとって、初めての異性は息子なら母親で娘は父親である。
そして、何と言っても、一人娘にとって、父親は影響が強いのは否めない。
5人きょうだいの娘ならば5等分されるだろうが、一人娘は父親を独り占めしたいし、出来るから、特に父親の影響を受けるのは致し方無いし、私は世界中の大人の男性はみんな父みたいなモノだろうと思っていたから、社会人になって、ルックスだけで対を張れる大人の男性が全く居ない事にカルチャーショックを受けた。
頭の良さ、仕事の出来をプラスすると、誰も足元にすら及ばないから、恋愛は私には困難な道だと悟った。
母にしても、自分の娘は父親よりも、いい男と付き合わせたいというのが本音だから、私は彼氏が作り難いし、なかなか、男性に心を持って行かれ無い。
それが、私の不幸といえば不幸である。
若い男性や外国の男性はそれなりに高身長だが、それだけで全く男として魅力が無いし、知識も無いし、仕事が出来ない。
小学6年生の時
「この人なら、一緒になってもいいな❗」
と、感じたのが、高見澤俊彦だけである。
私は両親にそう言った。
父はテレビを観ながら
「高見沢君。ギターはウマイな❗」
とだけ言った。
しかし、両親共に単なるファン位に好きなのだろう❓と、30年位、思っていたが、私がいつまでも、俊彦の話ししかしないので
「そんなに好きだったのか❓」
と、父が亡くなる、私が45歳になっても、母が亡くなる、私が49歳になっても、普通の親とは多分、違って
「何時になったら結婚するんだ❓」
や
「今、付き合っている人は居るんだろ❓」
等、私は一度も言われた事が無いし、元々、結婚願望がなかったから、気づいたら、独り身のままで、気楽といえば気楽に生きて参りました。
良くある、愛する男性に料理を作ってあげたい❗や、洗濯して、お世話をしてあげたい❗と、一度も思った事が無いし、私にとってはそれが男性に対する愛情表現だとは思っていない。
私の愛する男性だって、いい大人なのだから、自分の事位、自分で何とか出来るでしょう❓
赤ちゃんの男の子に
「私、この男の子とお付き合いする❗」
と、言ったら、周りの方々はビックリなさるだろう❓
赤ちゃんの男の子じゃないんだから、自立している大人の男性しか、私には合わない。
私は当たり前の事を考えているのだが、特に日本の男たちは甘やかされて育って来たから、私には余り合わないが、日本の男性の方が波長は合うので、独り身でこのまま生きて行くかもしれないし、縁があれば俊彦と出逢うだろうと思っている。
他の男は無理だと分かっているので、無理に男性とお付き合いしようとは思わない。
適当に好きで男性とお付き合いしたり、結婚する方が私にとって、地獄である。
独りって、案外いいものですよ🌹
因みに15日は幸ちゃんの71回目、明日の17日は俊彦の71回目のお誕生日である。
二人に挟まれた事に縁を感じている私です。
そして、俊彦とは同じA型で、家族全員、血液型が違うところまで同じです🥰
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