2025.4.19
皆さんはSOFT-BALLETを余りご存じ無いでしょう。
藤井麻輝という父親が医者で英語とドイツ語が出来、ピアノも習っていたから、クラシックにも精通していて、しかし、創る楽曲は現代音楽のよう。
残念ながら49歳の若さでお亡くなりになった森岡賢という、お父様も音楽家でドリフターズのアルバムの一曲を編曲している音楽一家で日本の音大に主席で入学したが、バンド活動が忙しくなり、中退した男性と、ボーカルの遠藤遼一。
3人が集まったきっかけはホモセクシャルの雑誌で友達募集で集まったのが理由である。
しかし、全員、ホモセクシャルではなかった。
遠藤遼一にだけ、マネージャーがインタビュアーに
「幼少期の頃は訊かないで下さい❗」
と、BUCK-TICKの櫻井敦司と同じ事を伝えていた。
遠藤遼一はお母様がピアノの先生、お父様がオペラ歌手。
結婚して遠藤遼一が産まれたが、お父様はオペラ歌手。
日本ででは活躍の場が余り無いので、多分、話し合いで離婚して、たった一人でヨーロッパに行ってしまった。
だから、遠藤遼一はお父様に幼い頃しか会っていないと思う。
そして、シングルマザーで何年か一緒に暮らしていたが、いきなり見知らぬ男性がやって来て
「今日から、お父さんと言え❗なんだ、おまえ、男らしくないな❗」
と、遠藤遼一は言われ、困惑したであろう。
中学校に行く時、遠藤遼一は長い布を腰に巻き付け、化粧をして学校に行った。
新しいお父さんという男性は
「おまえ、女装して学校に行くのか❓」
と、言ったであろう。
「貴方が男らしくしなさい❗と言ったから、これが僕の男らしさです❗何か文句がありますか❓」
と、3年間、ずっとスカートを履いて、化粧をして学校に行った。
だから、遠藤遼一がロングヘアーにしたり、スカートを履いたり、化粧をしたのは普通の男の子が外国のロックスターに憧れたのとは訳が違うのである。
何とか中学校までは家から通ったが、折り合いの悪い、見ず知らずの男性をお父さんだとは思えずに、中学校を卒業して、家を出た。
遠藤遼一はオペラ歌手のお父様の声質を受け継いだのと、単なるバンドのボーカルとは違って、マイク無しでも、声を響き渡らせる正しい発声法をDNAで身に付けているから、あのような、低音で野太い声が出るのである。
普通のバンドでしかボーカルをやった事が無い人々に囲まれても、マイク無しで声が通るし、ステージに立つと、オーラが凄い❗
観客に拍手をさせない❗キーもヒャーも言わせない❗という覚悟でステージに行っていた。
SOFT-BALLETの再結成は難しいのは解るが、彼一人でendsというバンドで、ライヴをやっていたが、突然、ステージに立たなくなった。
ボイラー技師になったとか、行方不明だとか、噂は沢山あるが、彼はボーカリストとして、産まれて来た、天性のモノを持っている。
サザンやミスチルやGLAY等のボーカル力とは訳が違う❗
彼の声を一度聴いたら、背筋に電流が走るとはこの事を言うのである。
BUCK-TICKの櫻井敦司がお亡くなりになり、遠藤遼一がステージに立たなくなった。
UP-BEATの広石武彦はとうとう
「僕ら、アンダーグラウンドなんです❗」
と、言ってしまった。
何故、日本は本物のバンドやロックやいい歌を歌っている人や、ボーカリストとして、産まれて来た人が消えて行くのだろう❓
そろそろ日本も本物を観ないか❓聴かないか❓
これだから私は日本のバンドは全く興味が無くなるのだ❗
遠藤遼一だけでも、ステージに立って欲しいと思っている人は私だけではないはずである。
遠藤遼一は孤独であり、自分自身の世界を持っている、稀有な存在のボーカリストとして、産まれて来た人である。
遠藤遼一よ❗
もう一度、ステージに立ってくれ❗
貴方の声が聴きたいのだ❗
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