静と動の自分

2025.5.1

 私は安定剤より、正直、アルコールの方が気持ちが楽になる。

 主治医も、夜に一人でワインを飲みながら好きなクラシックを聴くのが落ち着くという男性なので、私が

「最近、余り調子が良く無いみたいです」

と、言うと

「お酒飲んでいないからじゃない❓」

の会話は数え切れない。

 私はブログを書いているが、自分で書いておきながら、コメントを見る事がお酒が入らないと出来ないし、お酒が入っても出来ない時がある。

 だから、私がFacebookで皆さんのご投稿を拝見する時や自分の投稿のコメントを見る事がなかなか出来ない。

 全てが賛同のコメントではないし、反論でも、きちんと書いて下さる方々ばかりではない事が分かっているからである。

 幼稚園の子供ですら書かない支離滅裂な文章で私の人格否定をされたら私だって萎えるし、まともな文章に見せかけて、私の事をボロクソに言うコメントを見たら私だって萎える。

 そのようなコメントしか遅れ無い人が私のブログの読解能力は無いのは一目瞭然である。

 後、私のブログは小学生でも読める位に簡単に書いてあるのに、大学院卒の人に対しての文章に私は

「そんなに難しい事を言っている訳ではないのに」

と、戸惑う。

 だから、近所のコンビニエンスストアーに行く時もお酒をカッ喰らわなければ行けない時もある。

 しかし、極度の人見知りの割に私の言葉のチョイスが全ての人達に

「のぞ美さんって、面白い❗」

と、言われる。

 私は多分、何百人格もあると思っている。

 普段は動の私が叫んだり、泣きわめいたりしたり、大笑いしたりしているが、必ずいつも、部屋の左天井の隅で静の私が

「また、のぞ美❗喚いているよ❗」

と、ニヤリと笑って見ているのだ。

 この二人のどちらかののぞ美が居なくなったら、私はこの世を自分で去るだろう。

 何でも反応してしまう動ののぞ美と、全てに対して冷静、或いはニヒリストな静ののぞ美が互いに対話しているから、私は今まで、生きて来れたのである。

 そのバッグには何百人格もののぞ美がいる。

 全く違う名前の人物も私の中にいる。

 少なくとも、静と動の私がバランスを取ってくれている。

 だから、今日まで私は自害せずに生きて来れたのだ。

 皆さんの中にも、私程、極端ではないけれど、違う自分がいるでしょう❓

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