私は人として生きている

2025.5.2

 ”私の身体を生きる”という本が近所の書店に前からあり、気になっていたので最近、購入して読んだ。

 全て女性作家ばかりの本である。

 その中には産まれた性が偶々男性だった方もいる。

 私は女性の方が性に関して、ボキャブラリーが豊富で色んな角度から考えて書けたり、話せる人が多いと思う。

 もし、この本が全て男性だったら、発売するまでは至っていなかったと思う。

 他の話題ではあれだけ文章能力があると思われる男性でも、性に関しては表紙に10代の巨乳のグラビアアイドルが載っている、電車で恥ずかしげもなく、60代過ぎのおじいちゃんが読む3流エロ小説になってしまう人が多い。

 何故、女性の方がボキャブラリーが豊富で色んな角度から考えて書けるのか❓

 私の考えだが、男は征服する方で女性は被害者に感じてしまうから、加害者に自分がどれだけ傷付いたかを伝えている内にボキャブラリーが豊富になったのかも❓と考える。

 自分の身体なのに、男性に征服されたら、誰だって相手を打ち負かしたくなるだろう。

 ある女性は男性でも、女性でもない、ピンクの球体で産まれたかった、と書いていた。

 私はピンクの球体まではいかなくても、自分が男性ても、女性でもなかったら、もっと生きやすかったと感じている。

 ある男性に

「高見沢なにがしが好きと言うのは中性的な男だからだろう❓普通の男なら、おまえさんに会ったら直ぐにヤラセろ❗と言うに決まっているものな❗」

と、言われた事がある。

 しかし、私に出会う全ての男性ではないが、約8割の男は年上、年下関係なく、女性としてしか私を見ない。

 私は女性として得した事より、不快な思いをした方が多い。

 一生、SEXなんかしなくても人は生きて行けるから、私はそんな身体事、その性で産まれて来たかった。

 両刀だと、多分、面倒だし、両性偶有ならば疲れて自分の人生は歩いて行けないだろう。

 普段は週刊誌は余り見ないのだが、コンビニエンスストアーに偶々、表紙に性が分からない私達というタイトルが目に入り、少し読んで思わず買った。

 クエスチョニングと呼ばれる人がいる。

 その女性は女性だが、男性とはそのような関係になりたくないが、だからといって同性愛者でもなく、自分の事を誰も理解してくれない事に生きにくかった。

 ある時、異性愛者の男性と出会って、その男性と一度だけ男女関係を結んでみたが

「僕らには全く必要ないね❗」

と、その男性は言った。

「私がそのような女性だと分かっていたの❓」

と、訊くと

「なんとなくだけどそう思っていた」

と、結婚したのである。

 その女性は

「今は一緒に同じ食べ物を食べて、美味しいね❗と言いあえて、同じベッドで一緒に眠る、理解者が出来て幸せです❗」

と、話していた。

 私も多分、このような男性でないとダメだろうと、薄々気付いて来ている。

 それを分かり易くする為に肉体、ルックスが、男性でも、女性でもなかったら、私を見つけ易いし、いらない男たちを断る必要性がなくなって、生きる事が私はずっと楽になれるのにと思う。

 神は何故、男性でも、女性でもない肉体を作ってくれなかったのだろう❓

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