2025.8.25
私は幼稚園は函館で唯一、お受験に受からなければ入れ無い幼稚園でした。
医者の息子や教師の娘や市役所のお偉いさんの子供たちですら、バンバン落とされた幼稚園です❗
正直、お兄さんがその幼稚園に入れたら、弟さんや妹さんが可哀想という理由でコネで入り易かったのですが、そのような子供たちですら、落とされました。
私の父は若くして、出世はしておりましたが、単なるサラリーマンの一人娘ですから、私が受かる確率は少なかったと思います。
しかし、私の父は
「のぞ美なら、受かるかも知れない❗」
と、一か八かかけたのです。
今でも、その受験は覚えております。
先ずは口頭で質問を受けて
「私ワタクシの父は私ワタクシの母は」
と、両親を紹介した時点で私は合格でしたが、皆、筆記試験を受けるので、筆記試験をやりました。
両親は一切、口出し出来ません。
部屋を出た後に母に
「貴女、一問だけ間違えてたわ❗」
と、言われて
「だったら、のぞ美、落ちちゃったね❗ごめんなさい❗」
と、言った記憶がございます。
例えば箸と茶碗というペアになるものを線で結びなさい、という問題でした。
しかし、結果は合格です❗
合格した子供たちで抽選がございました。
抽選にも、受かってしまい、一年次から約16名で幼稚園に通いました。
二年次になると
「新しいお友達が増えます❗」
と、先生が言って、約30名になります。
試験に受かって、抽選で落とされた子供たちと、抽選も受かってしまった子供たちとが入り乱れます。
その幼稚園で運命の出会いを致しました❗
まあちゃんという、全ての子供たちと首一つ背の高い男の子です❗
まあちゃんの顔は今でも、ハッキリ覚えているのですが、声が全く分かりません。
今、考えると、まあちゃんは全く自己主張しない男の子でした。
勿論、幼稚園の先生に訊かれたら、答えていたでしょうが、全く皆の前では話しませんでした。
私の家族とまあちゃんの家族同士、仲が良く、まあちゃんのお父様は旅館の経営者と喫茶店の経営者と手広くなさっていて、お姉さんがいたことは覚えております。
ある時、夏に海に連れて行かれて、親は洋服を着ているのに、私とまあちゃんは水着を着せられて、函館の海は夏でも、寒かったから、私はまあちゃんに
「寒いね❗」
と、ブルブル震えながら言うと、まあちゃんはうん❗と頷いただけでしたが、まあちゃんが全く喋らなくても、私は心地好さに包まれました❗
あんなに全く喋らなくても、包まれる男の子はまあちゃんと、アルフィーの高見澤俊彦だけです❗
一番、初めにお付き合いして下さった男性も安心出来ましたが、その男性と仲が良いご夫婦が
「一年後におまえがベロベロになって、赤ちゃんをあやしている姿が目に浮かぶなぁ~」
と、言われた時、私は結婚して子供を産まなくてはいけないのか⁉️と。途端に怖くなりました。
好きだから付き合っているのであって、結婚して子供を産まなくてはいけないのか⁉️と。感じたら、嫌になってしまったのです。
このまま、会いたい時に会って、独りで居たい時には独りではいけないの⁉️
必ず結婚して子供を産まなくてはいけないの⁉️
と、思った瞬間、好きではあったのですが、男性が嫌になってしまいました。
私はどんなに好きになっても、独りきりで居られる時間が無いと、多分、死んでしまいますから、一緒に暮らす事はかなり難しいのです。
それに好きだから、必ず結婚して子供を産まなくてはいけないだなんて、私に死ね❗と言っているようなモノです❗
こうした女性もいるのです。
男性でもいらっしゃるでしょう⁉️
ですから、結婚や一緒に暮らす事を強要なさらないで下さいませ。
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