2025.11.30
私は物心付いた時には周りが本だらけでした。
書棚に必ず3分の1の水が入ったコップが置かれておりました。
それは本が乾燥してダメになるから、水分を書棚に置くためです。
ですから、学校でこの本を読んで下さいという本は既に読んでいたし、わざわざ自分で買う必要もなかったし、図書館で借りる必要もなかったのです。
友人が読書感想文を書く為に図書館に行くから付いて来て、と言われた時に私は女性が書いた面白いエッセイとか、今の若い男性小説家が書いた本やわりと軽い本ばかりを読んでおりました。
読むのに困難な重たい本は全て家にあったからです。
何故、それ程、大量の本があったかと申しますと、私の父が幼い頃から、お小遣いで一冊づつ買っていたからです。
そして、全ての本が初版本で、必ず背表紙に四角い中田蔵書という印を押しておりました。
幼少期の私に父が
「ノン。此処にある本を好きに読んでもいいが三島だけは中学生になるまでダメだからな❗」
と、言われました。
しかし、子供はダメという事をしたい生き物です❗
母がキッチンルームにいる時、コッソリ隠れて、1巻から50巻、小学生の低学年に全て読んでしまいました。
勿論、読めない漢字もございましたが、読める漢字と平仮名で、だいたいこういう話しだろう❓位は私にも分かりました。
初期の頃はキリスト教をモチーフとして小説を書いたんだ❗中期と後期を読み終えて
「同性愛を知ったらダメだから、私に読むな❗と言ったのかしら❓」
と、ずっと疑問でしたが、訊いたら
「読むな❗と言ったのに、読んだのか⁉️」
と、叱られると思い、黙って生きて参りましたが、大人になって母に尋ねました。
そうしたら、母が
「ううん。全く違うの❗ノンが同性愛や無性論者でも、良かったの❗ノンの事だから、三島由紀夫に影響を受けて、東京に行って、東大生と討論をして、本当に腹を切って死にかけないと私とお父さんは心配して、相談して読むな❗と言ったのよ❗」
と、言われました。
同時の東大に入る息子さんを持った親御さんが、全て心配したように、私の両親も心底心配したのです。
あれだけ、センセーショナルな亡くなり方をして、心配しても、何十年経っても、そのような人は出て来なかった。
私は一応、女性に産まれたけれど、私の両親は
「のぞ美の事だから、やりかねない❗」
と、本気で心配したがうえの読むな❗でしたが、逆に読ませてしまった。
しかし、私は腹を切って死のうとは思いませんでした。
もし、この先、何かの事情で自殺しなくてはいけないのならば、潔く腹を切ってあの世に行くか、芥川龍之介のように、服薬で自ら命を絶つでしょう。
芥川龍之介が子供達に残した遺言通り
「人生に負けたら、父のように自害しなさい。しかし、誰にも迷惑を掛けてはならぬ」
の、言葉は私にも伝わっております。
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