2022.11.4
今日も介護している息子が親を殺したというニュースがあった。
人を殺すのはいけない事だが、介護疲れは分かる。
介護される方も自分が老いて行くのに戸惑うし、介護する方も思ったとおりにならずに苦しむ。
私の母は優しい認知症だったから、まだ、良かったが、オムツを履くのには抵抗があった。
いい大人の女性がオムツなんてと恥ずかしかったのだろう。
まだ、話せた内に、私は母に懇願してオムツを履いてもらった。
洗濯機にそのままオムツを入れて回した後の惨事といったら、膝から崩れ落ちる。
冷蔵庫の物は勝手になくなっているし、怒りたくはないが、声を荒げてしまうが、母は目をキョトンとさせて、私を見つめるから、何も言えなくなる。
自分も病気を抱えていたから、健常な方より大変だった。
母もそれは分かっていた。
ある時、チラシを拾い、捨てようと思うと裏に母の字で
「私は宝物を神様からいただきました。娘は結婚もせずに病気なのに、私を看てくれます。幸せです。皆さんに感謝です。そんなことより、のぞ美のお婿さんを探さないと」
と、書かれてあった。
いつ書いたか分からない。
一緒に暮らしていた時は私に
「のぞ美はどこ?」
「のぞ美は私よ」
「嘘。あなたはのぞ美のお父さんでしょ?」
と言われていたが、施設に預けてからは私が行くと、私を娘だと分かってくれるようになった。
その施設はとてもスタッフの皆さんが良い方で、大変助かった。
しかし、手続きやら、尿漏れシートやらを渡しに休む暇は私にはなかった。
母の介護で私は大人にしてもらったと今は感謝している。
暴れるタイプの認知症もあるらしいから、その様な方よりは母は大人しかったので有難い。
脳梗塞になり、病院に入院して、一年後のバレンタインに眠ったまま、旅立った。
栄養点滴が出来なくなったら、いろうはしないで欲しいと医者に頼んだのが、私の人生最大の決意だった。
いろうをしないと言う事はそのまま、死なせてくれと言っているのと同じだから、とても、苦しかった。
それを分かってかの様に母は旅立った。
我が母ながら、美しい顔をしていた。
火葬場に一人でいた。
焼き上がり?の母の骨は粉々だった。
箸の持ち方が苦手な私は取り上げるのに苦戦しながら、係の方に助けていただき、骨壺を抱いて家に帰った。
寂しさはなかった。母は77年を精一杯生ききったのだから。
母を抱きながら、私が先に逝かないで良かったと心底思った。
その温かさで介護の苦労は全て吹っ飛んだ。
今、介護で苦しんでいる方。市に相談して欲しい。必ず、助けてくれる方がおります。
自分一人で抱え込まずに、誰かに助けを求めて下さい。
介護は捉えように寄っては楽しいものになるから、笑ってやりましょう。
もうこれ以上、悲しい死が起きないように。
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