2022.11.9
私の父は人間としては立派だったが、旦那としては最悪だった。
妻がいるのに、外に女性を作っては家を出て行き、家にはお金を入れないから、母のパートと私のバイトでも、家のローンや食費が無くて、丸一日、ご飯が食べられなかった事もある。
女性と上手くいかなくなると、家に戻って来ては暴れた。
そして、母と二人で、函館から秋田に車一つ分だけの荷物を乗せて渡った。
私が病気になり、医者から父に電話をすると怒鳴るだけで、話しにならなかったそうだ。
そんな父を心底憎んだ。
死ねばいいと思っていた。
しかし、父がくも膜下出血で倒れたと、函館市役所から、電話があり、何としても生きていて欲しいと願った。
イエスのカードに父宛に言葉を送った。
それがきっかけで、父との文通と電話が始まった。
電話を切る時
「お母さんを頼むな」
と、必ず言う。
だったら、もう少し仲良くしていたら良かったのにと感じた。
父は病気の私に
「来函したら、少しは病気も良くなるかも知れない」
と、父が亡くなった後で、手紙を読み返すと、何十通と書いてあったのに気付いた。
父は68で逝ったが、私は父の47の顔しか知らないし、26の時の写真、一枚しかない。
せめて、亡くなる前に、もう一度、会っていたらと後悔している。
一人で逝った父。
具合が余程悪かったのだろう。
綺麗好きな父なのに、亡くなった部屋はゴミ屋敷だったそうだ。
父は戒名もお墓も無い。
今、津軽海峡で眠っている。
後悔先に立たずだ。
亡くなる前に、もう一度、会っておけば良かったと感じている。
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