2023.4.26
私の母は身体が弱くて死に目に二回程あっていた。
父は医者に呼ばれる度にもうダメかと思ったという。
私が産まれる時にも、母か私かの二者択一を迫られ、父は一か八かに両方と答えたという。
無事、私が産まれ未熟児だったが母も無事だった。
父は20代の頃にホテルの支配人を任された。帰国子女でもないのに英語がペラペラだった。
だから、私も社会人になったら、簡単に出世出来るモノだと思っていたが女性には厳しい社会。
出世どころか、自分よりバカな男性よりも給料が安い。
そして、周りの男性を見ると、家の事はお母さん、奥さん任せで、ただ会社に来て、ふんずり返っているのが、驚きだった。部長クラスの男性が家の事は何も出来ないで、威張り散らしている。驚きを通り越して笑うしかなかった。
私が幼稚園の頃、母が入院していたので、父が私のご飯を作り、洗濯をして、幼稚園まで、送って、帰りは部下に迎えに来させて、私は知らないおじさんだったが幼稚園の先生が帰っても良いと言うので、車に乗って、父の働いているホテルまで行って、父が仕事が終わるまで、お寿司屋さんの男性と遊んで待っていた。
そして、家に帰り、お風呂に入れてもらって、夕食を食べて、寝た。
私に家事・洗濯を教えてくれたのも父だった。決して良いお嫁さんになる為ではなく、母や自分に何かあったら、一人娘の私が困るだろうという考えだった。
包丁の持ち方、出しの取り方、洗濯板の使い方まで、英語でappleの発音まで、教えてくれた。
父しか知らなかったから、社会人になって、家事・洗濯・育児を奥さん任せにしている男性に衝撃を受けたのは言うまでも無い。
家の事を奥さん任せにしていて、会社で仕事だけしているのに、出世も出来ない男性にショックを受けたのだ。
それで、ふんずり返られてもなぁ、が正直な私の感想である。
父が出来すぎだったと、社会人になって初めて知る。
こんな私とお付き合いしてくださる男性は大変だなぁとつくづく思う。
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