2023.5.10
父は気の強い人だったから、私や母に詫びた事がない。
24で母を連れて秋田に来て、発病し、私は入退院を繰り返していた。
入院費もバカにならず、母と二人途方に暮れた。
ドカタやっても水商売はしないと決めている私だったが一度だけ、ホステスをやろうと真剣に悩んだ事がある。
病気になり、ドカタどころか普通の仕事も儘ならない時に、母と二人でどうしようと考えたからだ。
函館に居る父とはくも膜下出血で父が倒れてから、文通と電話だけのやり取りをしていた。
いつも、電話を切る時
「お母さんを頼むな」
と言われた。ならば一緒に居た時にもっと仲良くしていたら良かったのに・・・・・・と、私は思った。
父にホステスになりますと手紙を出した。
そうすると、赤ペンで十数枚もの手紙が返って来た。
「お父さんが悪かったです。のぞ美をそこまで追い詰めたのは全部父のせいです。今更、父の言う事など聞いてはくれないだろうけれど、お昼の天気が良い時に考えなおして下さい。
父は沢山遊んで来たから、お水さんの裏の裏まで知っております。ママも知り合いに何人かおりますが、皆、不景気でヤクザから借金をして、悲惨です。
後、十年もすると大不況に日本も陥り、人々は困窮する事でしょう。
お水の世界は表向きは華やかですが、中身はドロドロです。
のぞ美は夜の世界を覗いては行けません。
父はどんな事があれ、女性が男にしなだれ掛かってお酌をする仕事は好きではありません。
お水さんにも良いところはあります。それは男に不自由しないところです。
取っ替え引っ替え男と遊べます。しかし、その内、男が居ないと眠れなくなります。
のぞ美ならば酒と煙草と薬と後男が付きます。
そうはなって欲しくないのです。
大学へ行きたかったら、昼間、レジとかで働いて夜間の学校へ行く方法もありますし、辞書を持って行って図書館へ行くと、のぞ美。そこがお前の学校になります。
何度でも言います。父が悪かったです。もう一度、考えなおして下さい。
健全な精神で歩んで下さい。
父の言う事など聞きたくないと思うでしょうが、父は女を売る様な娘に育てた覚えだけはないと言い切れます。
もう一度、考えなおして下さい」
と、産まれて父が亡くなるまで最初で最後の詫び状が届いた。
母を楽させてやりたかったが、私はまた、考えなおした。
当時、母が働いているラーメン屋の社長が私を使ってくれて、食べる物は何とか調達出来た。
決して、楽は出来なかったけど、今はそれで良かったと感じている。
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