2023.5.11
私の母は良妻賢母だった。
一人娘の私にフリフリのワンピースを作って着せて、お弁当は顔の形をしたおにぎりが入っていた。
家は決して裕福ではなかったがポニーテールを父のチックで朝に
「痛いって❗」
「いいから、大人しくしなさい❗」
と喧嘩しながら、結われたから、私は何処かのハーフのお嬢様に見られた。
幼稚園も受験して受かった所で、近所の子とは違う遠くに通っていたから、仲間外れに良くされた。
ハーフの子は幼い頃にイジメの標的になるように、私も年上の女の子達からイジメられたが、気が強すぎるので、泣かなかった。
母は下宿屋の料理を作りながら、父が出て行ったら、パン工場等でパートをしていた。
働く事が好きな人である。私に
「どうして、今まで専業主婦やってたんだろう。外で働く方がずっとおもしろい❗」
と言っていた。
19の頃、私は半年だけ車を運転していたが、それを止めた私の車が勿体ないと、50歳で自動車免許を取った。
母はスピード狂で父よりもスピードを出す人だった。
学生の頃にバスケットボールをやっていたので、運動神経はあったのだろう。
働く事が好きでスピード狂でお調子者の母だったが密かにモテてもいた。
洗濯機を知り合いの電気屋さんから買うと、洗濯槽にバラの花が100本入っていたから、母が
「誕生日でもないのになんだろうね~❓」
と、私に訊いて来た。
娘に寄って来る男には敏感だったが、いざ自分の事となると、呑気な人だった。
良く男性から、相談を持ち掛けられていた。しかし、鈍い人だったので、自分がモテても気付かない。
母は父が亡くなると、余程ショックだったのだろう。認知症がみるみる進んで、私が娘という事も分からなくなった。
最後は眠ったままあの世へと旅立った。我が母ながら、とても美しい顔だった。
今頃、父とまた喧嘩しているのだろうな。
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